お雑煮という奇跡


目次

角餅か、丸餅か

お雑煮の主役である餅。「角餅」か「丸餅」かは、地域によって分かれています。東日本では角餅が多く、西日本は丸餅が多く使われます。古くは丸餅が主体でしたが、江戸時代に平たく伸ばして切り分ける「のし餅(角餅)」が生まれたようです。また一部には、餅を一切入れない「餅なし」のお雑煮があるのも興味深い点です。

だしと味付け

大きく分けて、すましと味噌(主に白味噌)と2つの味付けがあります。もっとも古いお雑煮は「垂れ味噌」で食していたという記録があり、後世で醤油を使ったすまし汁が加わります。だしは、鰹節や昆布、煮干しが全国的に使われていますが、地域によって焼きハゼ、貝柱、鯖節、アゴ(トビウオ)、干し海老など多彩です。

海・山・里の具材

さまざまな具材が古今東西で食べられています。魚は鮭や鰤(ブリ)、クジラ、車海老、ハゼやドンコ、焼干し大海老、ホヤやアサリ、ハマグリ、牡蠣と多彩です。一方肉類は少なく、鴨や山鳥のほか、鶏肉は明治以後と新しいもの。野菜は全国的には大根・人参が、また関東・東海・近畿・山陽・九州では里芋が用いられています。ワラビやセリなどの山菜、海苔・豆腐、きな粉や餡餅を使う地域もあります。

※これらの地図は概略を記しているものです。実際の地域によって異なる場合があります。

お雑煮は、いつ生まれたのでしょうか。「雑煮」という名前がはっきりと文献に登場するのは室町時代で、今から500年ほど前のことです。当時の具材は、餅やアワビ、ナマコ、大根、青菜、花鰹、里芋などでした。アワビは不老長寿、ナマコは米の豊作を意味し、縁起の良いものが選ばれていました。

当時のお雑煮は正月だけに食べられるものではなく、上流の武家や公家が大事な客人をもてなす饗宴の料理のひとつでした。本膳料理という形式にのっとり、「式三献」という三三九度の酒に添える肴のひとつとして、お雑煮はふるまわれていたのです。これは今でも、正月にお屠蘇とお雑煮を一緒にいただくことに通じています。お雑煮は、互いに幸をもたらし、結束を固めるための大切な料理として、婚姻の儀式にも出されていました。

お雑煮の記録

  • 1497

    山内料理書

  • 1603

    日葡辞書(ポルトガル語の辞書)

  • 1824

    歳中行事記


料理制作 柳原尚之/撮影 久間昌史/協力 近茶文庫

徳川家のお雑煮

ハレのもてなしの場でお雑煮を食べる習慣は、武家に受け継がれていきます。信長が家康を駿府の安土城に招き、お互いの信頼関係を築くために烹雑(ほうぞう)(=雑煮)を出したという記録も残っているように、重要な局面でお雑煮は登場します。江戸時代になると、「どのような家でも、お雑煮を用意して正月を迎えた」といわれるほど、庶民の間にも広まっていきました。

徳川家とお雑煮

江戸時代に食べられていたお雑煮は、どのようなものだったのでしょうか。徳川時代の将軍が正月に食べていたお雑煮の具材は「餅(角餅)、大根、干しアワビ、干しナマコ、ワラビ、焼き豆腐、ゴボウ、里芋、結び昆布」と記録されています。味付けは醤油仕立てのすまし汁でした。アワビやナマコなど古くから食されているもの、一方で昆布など現代にも通じる縁起の良い食材が選ばれています。


料理制作 柳原尚之/撮影 久間昌史/協力 近茶文庫

お雑煮の全国への広がりはどのようなものだったのでしょうか。
すでに江戸時代には、各地域でその土地ならではのお雑煮が食べられていました。その理由は物流が発展していなかった当時は、「三里四方のものを食べる」ことが基本だったからです。中でも正月のお雑煮は、歳神様に供えるものであることから、その地域でとれたものや名産品が使われていたことも理由と思われます。そうした流れの中で、お雑煮は京都や江戸から決まった型が広がったのではなく、各地域固有の食材や食文化が色濃く凝縮されていったのです。そんな古くからの歴史と豊かな風土が盛り込まれたお雑煮を3つ、紹介します。

出雲のお雑煮(島根県)

餅の上にのせられた十六島(うっぷるい)海苔が主役の、出雲のお雑煮。島根県出雲市の十六島周辺でとれる岩海苔で、その歴史は古く、奈良・平安時代の献納品でした。厳しい荒波に洗われる岩に張りついた海苔を、命がけで採取した貴重品。やわらかな歯ごたえで、磯の香りが口いっぱいに広がります。セリと丸餅と海苔だけの簡素なたたずまいですが、海への畏敬の念が表現されているような厳かさがあります。

鮭雑煮(新潟県)

東日本では鮭が、西日本では鰤が正月のお祝いに使われてきました。越後村上では、平安時代から鮭を献上しており、冬になると鮭の塩引きが軒先に下がるのが風物詩となっています。鮭とイクラに加え、大根、人参、里芋といった根菜、こんにゃくやかんぴょうなど具だくさん。根菜類の滋養が溶け合い、体の芯からあたたまる華やかなお雑煮です。

饌(け)の汁(青森県)

「山のお雑煮」とも呼べそうな青森の「饌(け)の汁」。ゴボウ、人参、大根、こんにゃく、油揚げに、ワラビなどの山菜や、香ばしく煎って煮た大豆、やわらかく煮たささげ豆などが入る独特な汁です。約400年前からあったという説もあり、歴史と神秘性を感じられます。小正月に作りおきして、何度もあたため直して食べることも。赤味噌仕立てで、心安らぐようなおいしさがあります。

さまざまな変化を経てきたお雑煮ですが、ともに食べる人との結びつきを強め、新たな門出に向けて幸を願う気持ちは変わりません。その根本には、新年に迎える「歳神様」への思いがありました。民俗学者の柳田國男氏は、お雑煮は新年にやってくる歳神様に捧げ、それをおろしていただくものであったと述べています。今でも正月には「祝箸」という両端が細くなった箸を使いますが、その慣習には一方は神、もう一方を人が使って食べるという意味があるのです。

お雑煮は、正月料理のなかで決して派手な存在ではありません。しかしその歴史を知ることで、そこには食のもつふしぎな力があるように感じられます。みなさまのご家庭で食べているお雑煮も、まちがいなくその力を受け継いで、今に生きているのです。

協力(三章、四章)

料理制作:柳原尚之
撮影:久間昌史
協力:近茶文庫

柳原尚之

1979年生まれ。江戸懐石近茶流宗家。柳原料理教室主宰。博士(醸造学)。東京農業大学 大学院修了。発酵食品学を学ぶ。小豆島の醤油会社勤務やオランダの帆船でのキッチンクルーを経て、現在は、東京・赤坂の柳原料理教室で、日本料理、茶懐石の研究指導にあたる。NHK「きょうの料理」などテレビ出演の他、「龍馬伝」などのドラマの料理監修、時代考証も多く手がける。また、海外への日本料理普及活動、子どもへの食育、江戸時代の食文化の研究・継承も行っている。
※本WEBページでは第3章・4章を監修いただきました。

参考文献

・『婦人画報』 2012年1月号 ハースト婦人画報社
・『日本料理とは何か 和食文化の源流と展開』 奥村彪生 2016年 農山漁村文化協会
・『地元に行って、作って、食べた日本全国お雑煮レシピ』 2022年 粕谷浩子 株式会社池田書店
・『お雑煮100選』 2005年 女子栄養大学出版部
・『餅と日本人 「餅正月」と「餅なし正月」の民俗文化論』 安室知 2020年 吉川弘文館
・『郷土と行事の食』 芳賀登・石川寛子 1999年 雄山閣
・『日本の食文化2 米と餅』 関沢まゆみ編 2019年 吉川弘文館
・『雑煮から見た食文化』 吉川誠次(共立女子大学講師)1991年 食生活総合研究会誌 Vol.2 No.2
・『日本の「行事」と「食」のしきたり』 新谷尚紀監修 2004年 青春出版社

茅乃舎
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